主日礼拝の聖書

エレミヤ書31章18節〜20節 

(18)わたしはエフライムが嘆くのを確かに聞いた。「あなたはわたしを懲らしめわたしは馴らされていない子牛のように懲らしめを受けました。どうかわたしを立ち帰らせてください。わたしは立ち帰ります。あなたは主、わたしの神です。(19)わたしは背きましたが、後悔し思い知らされ、腿を打って悔いました。わたしは恥を受け、卑しめられ若いときのそしりを負って来ました。」(20)エフライムはわたしのかけがえのない息子喜びを与えてくれる子ではないか。彼を退けるたびにわたしは更に、彼を深く心に留める。彼のゆえに、胸は高鳴りわたしは彼を憐れまずにはいられないと主は言われる。

ローマの信徒への手紙

8章31節〜39節

 

(31)では、これらのことについて何と言ったらよいだろうか。もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。(32)わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。(33)だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。人を義としてくださるのは神なのです。(34)だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。(35)だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。(36)「わたしたちは、あなたのために一日中死にさらされ、屠られる羊のように見られている」と書いてあるとおりです。(37)しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。(38)わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、(39)高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。

日本聖書協会刊『聖書 新共同訳』(1987)による
(c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988