座談会

        「伝統に基づく新たな歩み」

 

                出席者  : 橋爪 忠夫牧師

                         庄司 恒      (会計、教会学校校長)

                         石井 賢二     (伝道、礼拝、壮年会幹事)

                         田中 志づ    (礼典、賛助、70年史編集)

                         高田 理江

                         増田 淳子    (青年会会計)

                         和田 征子    (書記、礼拝、婦人会書記、月報編集)

司 会   : 神田 道彦   (書記、月報編集)

 


神田:教会設立70周年のこの年に、年史の発行が記念行事の1つとして計画され準備がすすめられています。60年史にも座談会が載っておりますが今回は月報編集の方で10年間を振り返り、これからの10年という展望について皆さんでお話いただきたいとお集まり願いました。田中長老が纏められた創立当時からの年表をお届けしました。10年間を顧みて洗足教会の長老派としての伝統を確認しながら、新しい10年に向かっての歩みということ今回の年史の柱の1つに教会内の各部会の活動や記録が含まれ、新しく来られた方の手助けにも、と考えられています。10年間の各部会各集会の取り組み、70年の意味これからの展望というようなポイントの中で始めさせて頂こうかと思っています。教会歴を踏まえた形で、自己紹介をお願いします。

 

高田:母の友人であった柳川長老の勧めで、この教会にきたのは、小学校3年か4年の頃が最初でした。何回か庄司先生の分級に出て楽しかった思い出があります。毎週通いだしたのは中学1年で、女子学院の聖書科で勧められたのが又この教会だったものですから、懐かしく思ってきました。1982年当時は、桑原伝道師の分級で、岡田裕君や宮地(吉村)直子さんと1緒で楽しくやかましく分級をしていました。中2中3はクラブ活動が忙しかったので実は余り通っていませんで、高1から通い始めて高校3年のときに洗礼を受けて、教会員になってかれこれ何年でしょうか。教会学校の先生や、青年会の役員をやらせていただき、学生時分は本当に坂田伝道師の時代と合致して楽しく充実した活動をF通しての時を送らせて頂きました。

 

和田:84年に転会してから16年位になります。長崎の古町教会で、学生時代に北久保先生に洗礼を授けていただきました。その後東京の大学に編入し、ちょうど、北久保先生も洗足に赴任されましたので、卒業までしばらく青年会に参加し礼拝に出ました。結婚数年後、若き橋爪先生が最初に牧会された大阪泉大津教会に73年に転会、77の渡米までお世話になりました。同じ年先生ご1家は仙台へ、そして5年前、洗足でまたお会いしました。

 

田中:私は教会に来てから十何年たって、1962年のペンテコステに受洗致しました。柏井・北久保・橋爪と3代にわたって求道者会から数えると約50年近く、この教会にお世話になっています。私は洗礼を受けましたとき30過ぎですから、独身という点では青年会、婦人という点では婦人会に入らなくてはならないわけですが、どちらにも所属するわけには行かないので、ジュニアチャーチの先生というところに所属させて頂いて、育てられたという気がします。先生というよりおばさん生徒だったというように思います。JCが盛んな時代で、7・8年奉仕しました。教師研修会も充実して、そこで学び教え育てられたというのが私の洗足教会のイメージとして1番。伝道師は棟居勇先生。1緒にしたのがオジマセイシさんとか氷上信広さん。私が1番尊敬し1番信頼していた人たちと所謂70年闘争という時に別れざるを得なかった。私はそこで、なぜああいうことがおきたのか。それは私が今も問いつづけていることです。98年に「復活」の編集、そして今回の「70年史」の編集と関わらせていただいております。50年近くお世話になった教会に感謝し、できるうちに何かご奉仕させていただきたい、次の世代の人継承させていただきたいという願いがありました。そういう1つの機会でありたいなあと思っております。

 

増田:うちの行動は、大体いつも増田家3姉妹といいますか親子3人セットなんですが。(笑)教会に行き始めたのも1セットでした。父親が転勤族で、75年頃、山口の下関に転勤があり、素子が、バプテスト教会系の幼稚園に通い、母が、教会行事だとか礼拝に出席をするようになったというのが、増田家3人が教会に行き始めたきっかけです。私が幼稚園の年長さんから小学校1年位という時代です。その後、新宿の高田馬場に転勤し、教団のシロアム教会で、母が受洗をしています。記憶に残る教会と言う場が自分の中に占めるようになったのは、この頃の時代が非常に大きいです。幼稚園もある教会だったので、子供が100人近くいて大人の礼拝が20人くらいと言う教会で、生活の一部の場として、結構大きい人間関係の場としても自分たちの子供時代を占めていたという気がします。その後、又転勤で外国に出て、(帰国して)大井町に住むようになり、85か86にこちらに通い出だすようなって、母が、87に転会をし、私と素子が86年のクリスマスに北久保先生から洗礼を授けていただいています。学生時代たぶん、最初の頃は、私にとって、前の教会が子供時代の大きな場を占めていて人間関係もよくわかっていたんですけれども、中高生と言う年代もあって、人間関係ができてる中に入り込む気が余りしなくて、大人の礼拝は母親に連れられて来慣れていたので、礼拝だけ出て帰ると言うことをどちらかというと好んでしていて、高校生時代はJCには殆ど出なかったんですね。丁度この頃坂田先生が、赴任され、すごく若者たちを教会の中で盛り上げるという働きをされて、青年会に連なっていって、つたないながら、CSの先生なんかもさせていただきました。小さい頃から通っていたと言うこともあって、自分の中で信仰を追い求めたと言う気がすごくしないと言うか、時には自分の中で礎にもなっているという自信が無くなる事があるんですが、迷いつつもいつもここに自分の戻る場があるという感じです。大学時代に言葉の勉強と仕事の上でも、合わせてそれぞれ1年簡と2年半くらい日本を離れていて、その場その場でも幸いにしてプロテスタントの教会で礼拝を守る場を与えられていたんですけれどもそういうところでも、洗足教会という場が戻る場としてあるんだと言うことが,改めて感じさせられていたと言うような気がします。

 

石井:私がこの教会に転会させていただいたのが19990年の60周年のその年でした。私も家内も教団の京都教会というところで受洗しまして、家内はその後郷里の和歌山教会に出たんですけれども、私は医者として仕事を始めた頃は、やはり、週に2回位当直があったりして、日曜日も仕事に出ていましたのでなかなか、教会生活ができませんでした。1990年に今の住所に越してくることになりまして、その当時家内の所属していた和歌山教会の山倉牧師が、引っ越すんであればぜひ洗足教会にいきなさいと、山倉先生が求道者時代最初に教会生活を送られたという思い出の教会で、ご紹介して頂いて、90年の1月に越してきたんですけれども、家内のほうがすぐに礼拝に出て、ベビーカーを押してきたら、階段があって持ち上がらないので、そこに立っているひげもじゃの人に「上げてください」と頼んだのが、坂田先生だったと。(笑)そして家内のほうがしばらく先に来ていたんですけれども、北久保先生がすぐに週報ボックスを作ってくださって、90年の5月に病院から今の研究所のほうに職場を移りまして、比較的時間に余裕があるような状態になって、イースターのときに転会させていただきました。それ以来10年と言うことになりますけれども、その10年間は子供が生まれて大きくなってと言う10年でありまして家族ごと教会に受け入れていただいて、育てていただいたと言う10年間だったと思います。そして、私自身も求道して洗礼を受けて教会にはこちらに来るまで属しておりましたけれども、それほど熱心と言いますかしっかりとした信仰を持っていたわけではないと思います。こちらの教会に来て、家族と共に教会に属すると言うことも含めてですけれども、クリスチャンとして生活していくことがどういうことであるか、あるいは教会に属すると言うことがどういうことなのかということをいろいろ教えていただいたように思います。特に私と家内の出身教会が信仰という面で少し混乱したりと言うような事が2年間であって、そうしたことを見るにつけ、洗足教会と言うものが非常にしっかりとした信仰を伝える伝統があって、そした教会を継承してきたと言うことが非常に大事なことであるしそうした教会に連なることができて幸いだと思います。それから去年の3月まで2年間いたアメリカでも、橋爪先生に紹介していただいた改革教会に一時教会の籍を移して、改革教会なんですけれども、橋爪先生にこの教会に行くべきであると教えていただいて、まったく違和感が無く、同じ信仰の伝統に連なる教会で生活を送ることができました。

 

庄司:1945年、4月に大学に入って、5月に家が焼けて、8月に終戦になって、親父が失職すると言うような時代でした。まさに戦争に行って死ぬ事が当たり前のことで、では死ぬのに満足して死ぬのはどうしたら良いか、美味いもんたくさん食べるとかですね、お嬢さんと仲良くするとか、じゃあその精神的にはどうか、何のために生きるのかと言うようなことを考えているうちに敗戦になってしまいました。そんなで、近くの人に導かれて1948年頃の豊沢教会に行きました。まだテレビも無いですし教会に行くと若い人たちがかなり大勢来てました。丁度その頃北久保先生が神学生として豊沢教会に来ておられた。北久保先生が卒業して和戸教会に房子夫人と共に赴任されました。私が洗礼を受けたのは1949年で、家内はその1年前に洗礼を受けました。で洗礼を受けたと同時にCSのほうのお手伝いを始めまして、その頃は毎週子供たちが100人近く教会学校に集まり、丁度家が近かったのでお母さんの武子さんに連れられて柴沼充君たち兄弟がみんな出たりしていた頃です。私は当時、東神大の夜間講座に3りましたが、その時の同窓生に粟田さんのお父様が一緒なんです。CSのお手伝いをしているところから教師になりたいと思い、経済学部から、卒業の前の1年間を文学部に行き教職課程を取りました。最初は中学の教師になるつもりしたが、結局、小学校の教師になりました。70年、教会の先生がご老齢になられて新しい先生をお呼びになったんですが、その方がむしろ教団反対のほうの立場のかたで、僕らの信じているキリスト教とこれは違うと、説教を聞いていても十字架と言う言葉が1度も出てこないと、いうようなね。

そんなことがありまして今度はこちらが転がり込みましてね、75年くらいに転入したんですが、その前2年くらいお客さんでこちらに来ていましてね。その時はのんきでしたね。(笑い)礼拝だけ出て、何の会も無く、実にのんきに開放されて丁度2年くらい暢気に過ごさせていただいたんですが。その後つかまっちゃいまして。(笑い)

 

神田:司会者ですが、私も一言。1988年の4月こちらへ転会しました。北久保先生の仲人で、74年に中村スミと結婚後、74年からは朝10時にスミをこちらへ送って、私は昔いた教会へ行っていました。10年近くは夫婦で別々の教会に行っていて、お互いにどちらへ転会するのか決めかねていました。一旦2人とも家の近くの教会へ転会しましたが、今度は長男が、洗足へ自分から進んで来るようになり、それならば夫婦してこちらに転会しようという事で、88年にこの教会に籍を置かして頂きました。ただやはり、私自身は、会衆派の教会に非常に長くいたものですから、よく言えばリベラル、悪く言えばいいかげんと言う、なんかそういう形で自分勝手な解釈で教会生活を過ごしていました。ですから、もといた教会で、たまにこちらの教会に出ると非常に堅苦しくて、厳しくて、私に合うんだろうかとそういったような思いが強くなったんですけれども、何年かあって、この教会に、籍を連ねることによって、私の曲がった信仰を少しづつ修正して頂いて今日に至っていると言うようなことです。家庭の事情等で、毎週出席できなかったり、重要な諸集会に3加できなかったりで、十分な活動ができていませんけれども、非常に今は、洗足の中で養われた信仰が支えになっているところです。

それで次のところでは、90年以降の10年間の教会の歩みについて、前半の5年間が北久保先生、後半の5年間が橋爪先生という、移り変わりがあったわけですけれども、そういう中での、洗足教会の歩みについてお話を伺いたいと思います。この10年間でこの教会は大分変わりましたか。

 

庄司:教会学校の生徒数は減っていますね。事にこの1年、幼稚科の生徒が少なくなって、小学科の方の出席も、何とか挽回したいと思っていながら、なかなか10人集まらない。幸いジュニアはここに来て増えてきたのですが。大人の礼拝の出席数を見てみてますと大体1割強減ってきてます。私共としては、やはり努力の必要があると感じています。

 

田中:高齢化・少子化ということが一番顕著な特徴のような気がしますね。

 

石井:教会員の構成というところでは、1990年度の数字で、教会員の平均年齢が男性が53.9、女性が54.9で大体54歳。60歳以上が、男性が32%女性が34%。3割程度ですね。それが、今年の数字では、平均年齢が、男性が60.8女性が62.4全体で62才。65歳以上の割合が女性は59%男性が58%。6割近くなったと言うことですね。

 

橋爪:10年で8歳平均年齢が上がったということですね。

 

庄司:教勢は90年の年間の平均が139人なんです。99年が113人。90年はここだけポコッと高くなっているんであんまり比較にはならないかもしれませんが。大体130〜135位のところがその前ありますけれどもね。今は110台のところで、大体10%程度減っていると言う気がします。

 

橋爪:60年史に写真が出ている会員210人のうち現会員は90名しかいないんですね。10年間で相当の移動があった。受洗や転入で新しく加わっている人もそれに近く70・80人いるんですけれども、距離的にお宅が遠かったりして礼拝出席に結びついていない。洗足教会は95年に私がきたときの印象では、非常に礼拝出席の割合がいい教会ですね。教会の現住倍餐会員の60%以上の出席があるんですね。これは非常に出席率としては良いですね。

 

神田:この 10年間の中で青年の出席が、下降気味ですね。

 

庄司:そうですね。青年会から、教会学校の奉仕者となり、ある程度訓練を受けて、教会学校の先生を辞めてもかなりしっかりした考え方をもった会員となる。教会学校が生徒を育てると同時に信者を育てると、僕らも実際そうだったわけですが、そういうメカニズムが働いていました。ここのところ比較的年齢の高い方が、先生になってくださると、それだけに落ち着いているわけですけれども、信者を育てるという面では、利用されていないわけですね。

 

田中:女性の進出も大きな変化と思います。私が長老になった85年頃は、女性長老が聖日礼拝の司会をしていないんです。それで女性長老が司会をするかどうかを3ヶ月ぐらい役員会で話し合った。今はもう女性長老は4人もいて、書記さんから何から全部いる。女性の進出というのが大きいと思いますね。

 

和田:婦人会では、85から86にかけて会員の掘り起こしをやって、ぐっと増えたことがありました。例会出席も1時35人とか36人あったのが、このところ高齢化ということもあって30人ということが少なくなってきました。10年前とすると召された方、病床の方と遠距離の方でそれぞれに20名以上の方々がいらっしゃいます。この10年委員の世代交代はうまく行っていると思います。他の教会の方から洗足は元気だと言って下さるんですけれども、例会の司会や当番をお願いしようとしてもなかなかで、1人1役ということが難しくなりました。

 

橋爪:教団の教会は、今平均年齢70歳くらい。教団の教会1700ありますけれど、50〜60台の人が役員にこれだけそろうと言うことが地方の教会では大変なんですよ。私の前の教会も規模は半分くらいですが、ずっと私が一番若いくらいで、ちょっと2・3人いると言う感じなんですけれど。そういう面から見ると相対的なことですが、東京の教会、この教会は傾向としては高齢化があるんですけれど、比較としてはまだまだ、壮年層がちゃんと教会にいると言う感じがある。

 

神田:各会の事に絡めた教勢の話になっていますが壮年会のほうはどうなんですか。

 

石井:去年の総会のときの平均年齢が61歳くらいです。出席者が減っていることは同様です。

 

神田:90年に発足したはこぶねの会は、次の世代を負う予備軍という形で新しい歩みだと思います。はこぶねから婦人会という動きも期待したい。

 

田中:有職婦人の会ぶどうの会は、81年に24名で発足しました。現在は退職した人も多くなり新しい人の入会も難しいですが。

 

橋爪:会のバラエティーが増えてきたということが80年代からあるようですね。

 

石井:アメリカで出席した教会では、小さなグループがいくつもあって、礼拝、音楽、政権、祈祷会など男女関係なく集会を開く。それが非常にうまく機能していると思います。

 

橋爪:歴史的なものがあって、主にヨーロッパの教会では、青年会とか婦人会とか壮年会とかいうものが無いそうです。各層の会や、献金、祈祷会、週報等全部アメリカの教会の産物です。グループを作る事によって教会に3与してくる。しかし、その各層の分け方が永遠に固定化されるわけではないので自由に変えていく発想も必要。日本ではそこが難しい。

 

田中:32年〜74年まで続いた昔の組会では、横のつながりがあったんです。あのような自由な会があれば補えると言うことがあるんですね

 

橋爪:組会は継続的にやったんじゃなくて、柏井先生の頃組会を始めるって書いてありますね。

 

田中:1955年統計を見ると教会員の中の3分の2、80名位が新しい人だったんですね。それで、どういう風に伝道するかと言うことで、普通求道者のときに、当たり前に分からない事を学んでいく伝道の場と表現されています。終わったのは7十年代の紛争の影響、又住宅地の変化等でしょう。そして今は教会だけでなく地域共同体の意識が壊れている状態だと思いますね。

 

高田:子供達の伝道と言うことを考える上では、少子化ということはありますけれど、ご両親や少しでも接触のある方がたに福音を伝えていく、この地に使わされていくという姿勢をもって、これから地域との連合していく事が必要なのかなと思います。

 

橋爪:洗足教会を中心に、東西南北と言ういくつかの組会ができていたんです。基本的には、メソジスト教会がやっているんですね。組会をたくさん作って、牧師が次々に巡回するわけです。

 

庄司:戦後の、周りがすっかり焼けてしまった時代には訪問伝道が大事にされました。

 

神田:各会とか各集会の歩みをちょっとねいろいろと話をしていきたいと思います。今は信徒会を中心にしてやっていますけれど。

 

 

(休憩)

 

神田:教会学校を始め求道者向けの集会、伝道会や礼拝後の求道者会については如何ですか。

 

橋爪:この夏、教会学校で、先生だけじゃなくて、少し年配の信徒に信仰だとか体験だとかを話してもらった。良い企画であった。教会では世代を超えて信徒が1つとなって、しかも世代を越えた人がいろいろな人が経験を語ってくださる。教会でしかないと思うんですね。自分達とは違う世界に生きた先輩方に信仰者として子供たちに語って頂く。そういうのが教会の与えられたタラントを用いると言うね事ではないかと思います。

 

石井:ご病気の方、礼拝出席が困難になられる方が多くなってくると言う状況にありますけれども、北久保先生がおっしゃったことですが、非常に成熟した信仰を持った方達が教会の中に増えている。それはそれで積極的に意義のあることであると。殊にそういう長い間信仰生活を熱心に全うしてこられた方々の姿を目の当たりに見て子供達が影響を受けて、そういう出会いは教会でしかできないことだと思うんです。家庭そのものが、又地域でも、子供を守る力を失ってきた。子供を取り込んで育ててゆけると言うビジョンを持ってゆけるのは教会の力であろうし、これから先の10年と言うのは、教会の中に伝えるべきものを持った成熟した信仰を持った方がたくさんいて、そして子供達も育てられていくと言う幻を私は持っています。(笑い)今までの教会と言うのは教会の外にいた者が福音を聞いて改心して中に入ってゆくというモデルが1つあったように思うんですが、子供の時から、教会の中で、信仰の交わりの中で育てられて、そして自然に信仰に導かれてゆくという、そういうモデルも持っていく必要があるんじゃないかなと思っています。

 

和田:子供達や若い人が、教会で礼拝でいろんな説教を聞くことによって、本当に聞く力、人の話を聞く力がついたと言われたことがあります。幅広い方に接することによって本当に育てられていると言う気がします。

 

増田:小さい頃から分からないなりに非常に強い信仰をもった壮年あるいは老年の方々の姿を見たり接したりする機会が与えられたのは非常に大きな恵みだったのかなと。その割に私はどうして近づいていかないのんだろうと思うんだけれども、(笑い)それは教会の財産だと思います。今の時代、私のまわりを見ても何かの共同体に属する意識が希薄と思います。若い人全体に、連帯とか協調とかに対するアレルギーみたいなものが昔に比べてたぶんあるんだろうなという気がするし。でも反応するところ、飢えているところはあるのではないかと思っていますが、教会に来てみないとか信仰の話をしたりと言うのが、必ずしも私にとっては容易なことではない。

 

神田:今の社会だと専門的なところで用いられ、使い捨てだという感じになってきている。一人一人がかけがえのない存在ですよと言う場が学校でもなくなっている。教会が人間を作っていくと言う意味でも、働きとしてはますます求められていく方向にあるんじゃないかなと思います。これからの教会の展望といえますね。

 

橋爪:展望というと先のことでしょうが自分を越えた過去を身近にもって、将来を考えるのが聖書の世界だと思うんです。旧約聖書とか新約聖書の人々と聖書を通して何千年というものを自分のものにして進んでゆくと言うそういうスケールがあると思うんですよね。教会は聖書を持っているからそういうことができる具体的には、60代、70代、80代の人も10代の人もいることによっていつも生きた過去と接触しながら、歴史を担ってと言うか、背負ってと言うか歴史をちゃんと踏まえて将来の展望をすると言う強みがある。共通の過去を持っている、神様は永遠に変わらないという過去が現実の中で生きていると言うことは、すごく大事なことだと思うんですね。ただ歴史を頭に暗記すると言うことじゃなくてね。人間変わらないものは何かと言うとき過去と。でも今でも通用することですからね。そんなこと、大分若い人は拒否反応を起こすのかもしれないけれど。

 

神田:田中さんは70年史を纏められていますが、教会として70年という記念のときを覚える意義について如何ですか。

 

田中:今回年表を纏めて、変わらざるものが一貫して流れていると言うことを感じましたね。70年の間礼拝が続けられている。そして各集会が続けられていると言うのが驚きでした。しかし、それにも時代背景がある。戦争中、7十年代教会紛争中等、説教題によってその時代に求められていたものが分かる。

 

もう1つは教派ということ。植村正久からの改革長老派の流れです。植村正久が非常に苦労したと言うことと、柏井先生がなぜあんな病気までして走り回ったかと言うことが見えてきて、また北久保先生があれほどまでにカルヴァンと神学研究会とハイデルベルク信仰問答を説かれたか。少し見えてきました。

 

神田:教会としてこの記念の時を覚える意義について、高田さんどうですか。

 

高田:改革されながらも一貫して流れているものに、元気づけられるものがあるので、青年会とかいろいろな会の人たちにめんめんと受け継がれるべきもの、その人なりの視点で確認できたら生かされていくんじゃないかなと思います。

 

神田:記念誌に関して言えば、役員会で橋爪先生が、10年後の80年史にきちっとしたものを作りたい。そのための資料集めをしたいと言われた。その中で、若い人達に継承していく資料を今回はなるべく集めようと言うことですね。

 

橋爪:本格的な教会史を出そうとすると、10年かかる。やっぱり現在の10年くらいの変化をカバーできるようなものにしておこうするとね。もう1つは教会員がこの10年で相当の勢いで入れ替わっている。そうすると10年位を纏めたものが無いと、この教会に積極的な意味で加われないわけです。自分の教会と言えるようなものに早くなってもらおうという、そういう意味での10年簡位を纏めたものが洗足教会にはあったほうが良いんじゃないか。

 

田中:70年の歴史の中で、牧師は4名、長老も長い方がずいぶんいますよね。古い人が核になりつつ、転入会してくださった方が長老として新鮮さを加えたと言うのが1つの特徴のような気がするんですよね。ここ10年で、非常に長老なんかも若返ったと言う気がしますね。

 

石井:アメリカの改革教会に行って何の違和感を覚えること無く、その伝えられている、語られている信仰の内容と言うものが、まったく同じものであると言うことを経験いたしました。まあ、この10年間も北久保先生から橋爪先生へとバトンタッチされたわけですが、もちろん、先生個有のカラーと言うものがあると思うんですが、こと礼拝で語られる信仰の福音の内容については全く異なることが無い、一貫したものである。ですから、そういうことを積み重ねてこれから10年行くんだろうなと。

 

庄司:具体的にはやはり、1人でも多くの若い方、近所近隣の方に、福音を語り伝えていかなければならない。これは基本的なことだと思うんですね。そういう意味では、教会学校も一生懸命やら無くちゃいけない。教会にできるだけ人が来ることが容易であるように。そして自発的に一度でも来てくれたことがある人たちには、できるだけ暖かく接して、フォローアップする。我々古い者も、結局個人的な繋がりといいますかね、やはり結局は先生との個人的な繋がり、信者同士の繋がりの心の通いと言ったものが、支えになるんではないかと言った気がするんで、信仰を中心として、みんなの心が、できるだけ大きく豊かに濃く交わるような努力といったものをしたいですね。学校で周年行事をやる時、若い先生達は学校の歴史を知らない。年表や本作りという作業を通して、先輩の苦労を知り、こういう学校だったんだなと言うことを学び取るわけです。今こうやって、我々がやっていることが、我々の次の世代に、渡すものを作ってるんではないか。交わりの中にそういうものを育んでいくといったことがとても大事なことだと考えます。

 

和田:信徒一人一人の教育というか訓練が必要だと思います。私も長老教会で育ちましたが、ここの教会に戻ってきてから、教派についての意識がはっきりしてきた。北久保先生から橋爪先生と教育を受けていると言う感じが私はいつもしている。それからもう1つ、信仰共同体としての働きと言うか、一人一人の生活の中での信仰がどういう風に培われているか、教会全体の中で目指しているものは何であるか、もう1度確認していかなければいけない。で、1回でも教会にいらした方をちゃんと私達が受け止める。それは、役員だとか教職者の仕事でなくて、一人一人も迎えることができるような、みんなで礼拝ができるような雰囲気を教会の中で作っていかなければいけないと思います。新しく来た人に対して、隣に座られた方が全く、配慮が無いということが時々あります。だから、自分と神様だけのつながりだけじゃなくて、教会として配慮する心遣いが要るのではないかと、それが地域に出て行くことにつながるのではないかと思ったりします。

 

田中:私は、最初にジュニアチャーチの時に、司会も発題も人の前で話すこともできませんでした。それが少しづつ、育てられていったと言うことを非常に感じるんですね。献金のお祈りを長老以外の一般信徒がするようなって、教会員が随分変わりました。小さいところから場を設けて訓練していくっていうことがこれから必要なような気がするんですね。

 

橋爪:信仰って言うのは、受けるだけじゃなくて、自分であらわしてみると、それが正しいものかと言う反省にもなるんですね。

 

神田:先生、意義について言。

 

橋爪:過去の苦労と言うことを次の世代の人たちが知ると言うことは非常に大事だと思うんですね。やっぱり教会史を作るとか記念をするとかいうことは昔の楽しい思い出を語るわけではなくて、教会ができるためにどういう苦労があったかということをよみがえらせる。その苦労はその時だけの苦労ではなく、我々が今いる教会ができるための先達らの苦労であったわけです。そういうことを大事だと思うんですね。7十年間もちろん個人的な苦労もあるわけだけど、教会の苦労でもあるんだよね、教会の栄光とか楽しさとか良さと同時に、作るための労苦を如何に受け止めるかが大事だと思うんだよね。

 

神田:本日は、長い間ありがとうございました。

 

 

 

 

 

北久保先生をお迎えした教会設立70年記念礼拝

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