主は羽をもってあなたを覆い
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いと高き神のもとに身を寄せて隠れ |
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(37)「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。(38)見よ、お前たちの家は見捨てられて荒れ果てる。(39)言っておくが、お前たちは、『主の名によって来られる方に、祝福があるように』と言うときまで、今から後、決してわたしを見ることがない。」 (マタイによる福音書23章37節〜39節) |
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T主はわが避け所
U主は羽をもって私を覆い
全能者の特別な保護を、「羽」や「翼」という言葉をもって表し、「神は羽をもってわたしを覆い、翼の下にかばってくださる」という表現をするのです。
申命記32章11節には「鷲が巣を揺り動かし/雛の上を飛びかけり/羽を広げて捕らえ/翼に乗せて運ぶように」と
あります。奴隷として酷使されていた人々を神がご自分の民として救い出して下さった「出エジプト」の出来事を想い起しながら、神に固く結ばれた人々や共同体を神が守られるという保証を歌っています。
旧約聖書は、そのようにして、神の保護や神の愛を、母親の母性的暖かい愛、父親の力ある保護の愛という両側面から記しているのではないかとも考えられます。 マタイによる福音書23章37節※、ルカによる福音書13章34節※では、母鳥が雛を覆う「母鳥の羽」を、母親の温かく親密な愛の温もり、安全を表 わすものとして表現しています。我が子を思う母親の暖かい愛、襲いかかる危険と死に立ち向かって羽をもってわが子を守る母性的なイメージによって、神の強い愛を描いたと言える でしょう。 ※マタイによる福音書23章37節 「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。
※ルカによる福音書13章34節 エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。
一方、「翼」という言葉は、「鷲の翼」と表現されることも多く、父親の力強い愛にたとえて、神の完全な保護を詠ったのです。 V十字架という翼を広げて我らを覆う 神の民の歴史の中で、神はエルサレム(神の民)を、何度となくご自分の羽の下に集め庇護なさろうとされました。 エルサレムに向かう旅 は、十字架の死へと向かう旅です。
37節は、その途上で、その町エルサレムに対して語ったイエスの嘆きの言葉です。「エルサレムよ、エルサレムよ、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で撃ち殺すものよ。雌鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった
」。 神の民イスラエルは、生み出してくださった神を忘れてしまった頑なな民であるイスラエル(申命記32章15節〜18節※)の背信の姿を嘆かれるイエス の言葉を通し、イエスを神以外に人に与えられることの出来ない力と祝福とをもって、「羽」で覆う神の姿として描いていると理解すべきでしょう。 十字架のイエス、聖霊を遣わすイエス、世の終わりまで共におられるイエスは神で
す。 「父よ、彼らをお赦しください」と 、ご自分の死をもって民を守る神の愛の力強さを表す翼です。 反抗し応じようとしない民を、抵抗する子を守る神の愛の強さを表すのが主イエスの十字架で
す。 ※申命記32章18節 お前は自分を産み出した岩を思わず/産みの苦しみをされた神を忘れた。
2015年5月17日(日)夕礼拝説教より |
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