主日礼拝の聖書

イザヤ書
46章8節〜10節




(8)背く者よ、反省せよ
思い起こし、力を出せ。
(9)思い起こせ、初めからのことを。
わたしは神、ほかにはいない。
わたしは神であり、わたしのような者はいない。
(10)わたしは初めから既に、先のことを告げ
まだ成らないことを、既に昔から約束しておいた。
わたしの計画は必ず成り
わたしは望むことをすべて実行する。



ヨハネによる福音書
21章1節〜14節

 


(1)その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。その次第はこうである。(2)シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それに、ほかの二人の弟子が一緒にいた。(3)シモン・ペトロが、「わたしは漁に行く」と言うと、彼らは、「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。(4)既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。(5)イエスが、「子たちよ、何か食べる物があるか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えた。(6)イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。(7)イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、「主だ」と言った。シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。(8)ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から二百ペキスばかりしか離れていなかったのである。(9)さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。(10)イエスが、「今とった魚を何匹か持って来なさい」と言われた。(11)シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。それほど多くとれたのに、網は破れていなかった。(12)イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。(13)イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた。(14)イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である。



日本聖書協会刊『聖書 新共同訳』(1987)による
(c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988