受 難 節

復活の主を見上げて

あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。

(コロサイの信徒への手紙 3章1節)

北久保 勝也(前洗足教会牧師)

今から40年程前、仙台拘置所で大堀昇平という青年が処刑されました。彼は敗戦前後の混乱時期に逆境の中で少年時代を送り、24歳の時、殺人事件を起こして死刑の判決を受けたのです。

彼は獄中で、ある弁護士に導かれてクリスチャンになり、また熱心に短歌を作りました。

その頃私は彼と文通しており、一度面会に行った時、「コロサイの信徒への手紙」3章を読みました。私が帰った後、彼は、すぐに次のような手紙をくれました。

「・・・・『あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。・・・あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠されているのです』とのみことば、まことにアーメンであります。弱い私ですが、ひたすら復活の主を仰いで、残る馳場を走り遂げたいと思います」と。

この手紙には、いくつかの歌が記されていましたが、その中に次の一首がありました。

復活の奇跡も今は肯はむ 雪をもたげてものの芽萌えぬ

拘置所の庭の片隅で目にしたのでしょう。小さな植物の芽が、みずみずしい命に溢れて、重い、冷たい雪を押し上げている。

それをじっと見つめた時、彼は悟ったのです。イエス・キリストの復活は真実であることを。

そして復活を信じることにより、自分の救いを確信したのです。イエス・キリストはこの私の罪の身代わりとなって、十字架にかけられて、三日目に復活してくださった、と。

彼は、過去の思い罪科を深く深く悔いていましたが、今や、その罪のゆるしと、自分の存在の根底からの救いを確信できたのです。

この歌は、彼の、確かな、そして清らかな信仰が見事に歌い尽くされている、素晴らしい歌だと思います。

処刑直前の彼の手紙には「今は、復活の主をはっきり見上げ、お召しの時に備えています」と書かれていました。