ペンテコステ

聖霊を与える約束  ヨハネによる福音書 14章15節〜21節
             ヨハネによる福音書 14章25〜27節      

聖霊が下る      使徒言行録 2章1節〜13節

ペトロの説教    使徒言行録 2章14節〜42節



ヨハネによる福音書 14章15節〜21節   

聖霊を与える約束

あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。わたしは、あなたがたをみなしごにしておかない。あなた方のところに戻って来る。しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」イスカリオテでない方のユダが、「主よわたしたちには御自分を現そうとなさるのに、世にはそうなさらないのは、なぜでしょうか。」と言った。イエスはこう答えて言われた。「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。わたしを愛さないものは、わたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣わしになった父のものである。

ヨハネによる福音書 14章25〜27節      

わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。

この聖書箇所について

(1)聖霊は弁護者

ペンテコステの出来事が起こったとき、聖霊が弟子たちのところに下りました。そこで与えられた聖霊は主が予告されたものでした。

主は「弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊」と言われます。「弁護者」というのは、「傍らに呼ばれた者」と言う意味で、神が、人間のかたわらに、キリストの名によってよんで下さった聖霊という意味です。つまり、弁護者であられる聖霊は、人間と共に、常に神とキリストが共にいてくださることを現す神であるのです。

(2)全てのことを教える聖霊

私たちのかたわらにいてくださる聖霊は、神とキリストのみ心を常にわたし達に知らせてくださいます。それだけでなく主イエスが目には見えなくとも私たちの傍らにいつもいてくださることを知らせて教えてくださるのです。

また聖霊は私達を常にキリストのもとに導いてくださいます。それに対してキリストから私達を引き離そうとするのは悪霊(神に対抗する)の力です。

聖霊によって、私たちは、キリストに結び付けられ、神の御心に従う生活へと整えられていきます。

「私が話したことをことごとく思い起こさせてくださる」

また聖書の言葉を私たちが読もうとするときに誤った解釈や、独りよがりに読んだりすることがないように、聖霊の導きによって、主の本当の言葉を理解できるようになるのです。

(3)主の平和が与えられる

「わたしは平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。」

主が与えてくださる聖霊は、、私たちのところに平和を与えてくださる。主が与えられる平和とは、争いがないとか、けんかをしないと言う表面的なことばかりではなく、主が共にいてくださるところにある平和という事です。平安という言葉でも言い表されます。

聖霊は、主が共にいてくださることを常に知らせてくださる神です。従って聖霊が私達に主と共にいることを可能にし、そのことによって、私たちは、平和があたえられるのです。

「わたしはこれを世が与えるように与えるのではない。心を騒がすな。おびえるな。」

その平和は、主が十字架を通して人間に与えられた神との間の和解(罪の赦し)に基づく魂の平安といえるでしょう。ですから、主イエスによってしか与えられない賜物であります。この平和の中に生きるときは、いかなる恐れもないということです。

使徒言行録 2章1節〜13節

聖霊が下る

五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、"霊"が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。

さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、新人深いユダヤ人が住んでいたが、この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カバドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」人々は皆驚き、とまどい、「いったいこれはどういうことなのか」と互いに言った。しかし、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、あざける者もいた。

使徒言行録 2章14節〜42節   

ペトロの説教

すると、ペトロは11人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた。「ユダヤの方々、またエルサレムに住むすべての人たち、知っていただきたいことがあります。わたしの言葉に耳を傾けてください。今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが考えているように、酒に酔っているのではありません。そうではなく、これこそ預言者ヨエルを通して言われていたことなのです。

『神は言われる。

終わりの時に、

わたしの霊をすべての人に注ぐ。

すると、あなたたちの息子と娘は預言し、

若者は幻を見、老人は夢を見る。

わたしの僕やはしためにも、

そのときには、わたしの霊を注ぐ。

すると、彼らは預言する。

上では、天に不思議な業を、

下では、地に徴を示そう。

地と火と立ちこめる煙が、それだ。

主の偉大な輝かしい日が来る前に、

太陽は暗くなり、

月は血のように赤くなる。

主の名を呼び求めるものは皆、救われる。』

イスラエルの人たち、これから話すことを聞いてください。ナザレの人イエスこそ、神から遣わされた方です。神は、イエスを通してあなたがたの間で行なわれた奇跡と、不思議な業と、しるしによって、そのことをあなたがたに証明なさいました。あなたがた自身が既に知っているとおりです。このイエスを神は、お定めになった計画により、あらかじめご存じのうえで、あなたがたに引き渡されたのですが、あなたがたは律法を知らないものたちの手を借りて、十字架につけて殺してしまったのです。しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかったからです。ダビデは、イエスについてこう言っています。

『わたしは、いつも目の前に主を見ていた。

主がわたしの右におられるので、

わたしは決して動揺しない。

だから、わたしの心は楽しみ、

舌は喜びたたえる。

体も希望のうちに生きるであろう。

あなたは、わたしの魂を隠府に捨てておかず、

あなたの聖なる者を

   朽ち果てるままにしておかれない。

あなたは命に至る道をわたしに示し、

御前にいるわたしを喜びで満たしてくださる。』

兄弟たち、先祖ダビデについては、彼は死んで葬られ、その墓は今でもわたしたちのところにあると、はっきり言えます。ダビデは預言者だったので、彼から生まれる子孫の一人をその王座に着かせると、神がはっきりと誓ってくださったことを知っていました。そして、キリストの復活について前もって知り、

『彼は隠府に捨てておかれず、

その体は朽ち果てることがない』

と語りました。神はこのイエスを復活させられたのです。わたしたちは皆そのことの証人です。それで、イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました。あなたがたは今そのことを見聞きしているのです。ダビデは天に昇りませんでしたが、彼自身こう言っています。

『主は、わたしの主にお告げになった。

「わたしの右の座に着け。

わたしがあなたの敵を

    あなたの足台とするときまで。」』

だから、イスラエルの全家は、はっきり知らなくてはなりません。あなたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアになさったのです。」

人々はこれを聞いて大いに心を打たれ、ペトロとほかの使徒たちに、「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか」と言った。すると、ペトロは彼らに言った。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。

この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれでも、与えられているものなのです。」ペトロはこのほかにもいろいろ話をして、力強く証しをし、「邪悪なこの時代から救われなさい」と勧めていた。ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。