(1)聖霊は弁護者
ペンテコステの出来事が起こったとき、聖霊が弟子たちのところに下りました。そこで与えられた聖霊は主が予告されたものでした。
主は「弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊」と言われます。「弁護者」というのは、「傍らに呼ばれた者」と言う意味で、神が、人間のかたわらに、キリストの名によってよんで下さった聖霊という意味です。つまり、弁護者であられる聖霊は、人間と共に、常に神とキリストが共にいてくださることを現す神であるのです。
(2)全てのことを教える聖霊 私たちのかたわらにいてくださる聖霊は、神とキリストのみ心を常にわたし達に知らせてくださいます。それだけでなく主イエスが目には見えなくとも私たちの傍らにいつもいてくださることを知らせて教えてくださるのです。 また聖霊は私達を常にキリストのもとに導いてくださいます。それに対してキリストから私達を引き離そうとするのは悪霊(神に対抗する)の力です。 聖霊によって、私たちは、キリストに結び付けられ、神の御心に従う生活へと整えられていきます。 「私が話したことをことごとく思い起こさせてくださる」 また聖書の言葉を私たちが読もうとするときに誤った解釈や、独りよがりに読んだりすることがないように、聖霊の導きによって、主の本当の言葉を理解できるようになるのです。 (3)主の平和が与えられる 「わたしは平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。」 主が与えてくださる聖霊は、、私たちのところに平和を与えてくださる。主が与えられる平和とは、争いがないとか、けんかをしないと言う表面的なことばかりではなく、主が共にいてくださるところにある平和という事です。平安という言葉でも言い表されます。 聖霊は、主が共にいてくださることを常に知らせてくださる神です。従って聖霊が私達に主と共にいることを可能にし、そのことによって、私たちは、平和があたえられるのです。 「わたしはこれを世が与えるように与えるのではない。心を騒がすな。おびえるな。」 その平和は、主が十字架を通して人間に与えられた神との間の和解(罪の赦し)に基づく魂の平安といえるでしょう。ですから、主イエスによってしか与えられない賜物であります。この平和の中に生きるときは、いかなる恐れもないということです。 |