クリスマスメッセージ 「人生の迷路からの脱出」 

北川義也神学生

先日、新聞にこんな記事が載っていました。サラリーマンの就業時間外の自主的な居残り仕事、いわゆるサービス残業の時間が長くなっているというのです。最近はパソコンの普及によって、仕事に関することはほとんどコンピュータで管理されるようになりました。さらに、多くの企業において、自社内はもちろん得意先とのやりとりもEメールを介して行なわれるようになって来ています。一方で営業の仕事は、この不況の時期にあってますます複雑かつ重要なものとなっています。物が売れない時には、懇切丁寧に商品の説明をし、どうやって売り上げを上げていくかという打ち合わせを、可能な限り時間をかけて積み重ねていかなければ、得意先も簡単にはリスクを負ってくれないのです。このように時間のかかる営業に加えて、会社に戻ってからもパソコンに入力する雑務が山のように待っており、これが前述したような今日のサービス残業を増やす大きな要因になっていると思います。

私が営業マンだった当時、特に「年末商戦」という1年のうちで最も売り上げ構成比が高い12月には、ほとんどの社員が毎日遅くまで会社に残り、今日中に処理しなければならない仕事や翌日以降の準備に取り組んでいました。そして私も、クリスマス・イブの夜はもちろん、日曜日の出勤も余儀なくされ、教会に行くことの出来る回数がめっきり減ってしまう有様でした。そのような状況が続く中で、仕事をようやく片づけた後、クリスマスのまばゆい装飾がきらめき、大音量でクリスマス・ソングが流れる繁華街の中を歩きながら、ガラス窓に映る自分を見た時、そこには心にポッカリと大きな穴があいたように生気のない顔をした人間がいました。恐らく世の中で働いている大多数の人たちが、これと似たような状況の中に置かれているのではないでしょうか。

今、私は、東京神学大学の学部最終学年としての学びをさせていただいていますが、実は神学生になった時から、ようやくすべての予定を教会中心に組むことが出来るようになったのです。そんな私ですから、偉そうなことは全く言えません。しかし、だからこそ確信を持って言えることがあります。それは、教会に同じ思いを持って集まる人たちと共に献げる礼拝の時こそ、何事にもかえられないすばらしい時間だということです。そして、アドベントに入ると礼拝堂のろうそくの灯が毎週1本ずつ増えていき、心待ちにした最後の4本目に火がついた日曜日に迎えるクリスマス。そうやって、少しずつ静かなやり方で、礼拝の場において迎えるクリスマス以外に、心からの喜びを味わうことが出来る時はありません。

人間は皆、自分がいったいどこに向かって歩いて行けばよいのか、心の底から満ち足りた気持ちを得るためにはどうしたらよいのかを探し求めるのが目的であるような人生を送っていると言ってもよいと思います。私たちは、世の中に溢れかえるほどの物や、たくさんの楽しい娯楽に囲まれて暮らしていますが、いくらそのような物や娯楽の中から、つまり、人間が作り出したところから探してみても、心からの平安を得ることは出来ません。だから、「探している道に通じる唯一の扉を開ける鍵は教会にしかない」と確信することが出来た人たちは、本当に幸せ者です。なぜなら、すべての人たちを究極の平安にあずからせるために、イエス様はこの世に来てくださり、信じる者たちと永遠に一緒にいてくださると約束してくださいましたが、そのようなイエス様と本当の意味で出会うことが出来るのは、教会で献げる礼拝の場においてだけだからです。イエス様がそのような場所を与えてくださったことに感謝しつつ、そのことに出会えないで人生の迷路に迷いもがき苦しんでいる、一人でも多くの人たちに、この福音を伝えていく働きを担わせていただきたいと思います。

2002年12月発行シャロンより