タイトル 心に訴える聖書の中の言葉 〜若い世代へ〜
境界線

心の拠り処となる聖句集へのリンク
今月の聖句へのリンク


 このコーナーは、先日教会員の皆様にご協力頂いた、ホームページに関するアンケート内で、教会員の皆様が「若い世代の方に推薦したい聖書箇所」をご推薦いただき、その結果をご紹介したものです。
 これからの時代を担う若い世代の方や、、これから聖書をお読みになられる若い世代の方々に、ぜひお勧めしたい聖書箇所が掲載されています。
 聖書は、必ずしも先頭の頁から読まねばならないというものではありません。少しでも興味がある箇所から徐々に読み進められて行かれるのも、聖書に親しむひとつの方法なのではないでしょうか。
 本コーナーに掲載されている聖書箇所は、ほんの一部分にしか過ぎませんので、もっと詳しくお知りになりたい方は、実際に聖書をお読みになられる事をお勧めいたします。聖書をお持ちでない方は、教会にご用意がありますので、お気軽にお問合せください。
 なお、この他にも「心の拠り所」となる、お勧めの聖書箇所がございましたら、ぜひご推薦ください。随時、掲載させて頂きます。


※目次へお進み下さい。
旧約聖書の目次へ 新約聖書の目次へ


ページの先頭へ
旧約聖書 INDEX
※お読みになりたい聖書箇所の「本文へ」をクリックてください。
ヨシュア記 1章 9節〜 本文へのリンク
神がモーセに与えた戒めを忠実に勇気を持って守るよう励ました言葉。これを守ることによって神が共におられ、恐れが取り除かれる。

詩編 23編 1〜6節 本文へのリンク
教会に来るようになった人が、よく最初に覚える詩。「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない」で始まる。

コヘレトの言葉 12章 1節 本文へのリンク
人がものを知り出すとき、何から始めたらよいのか。本当の知識は自分の創造主を知ることである。

イザヤ書 40章 7〜8節 本文へのリンク
イスラエルの民に遣わされた預言者の第一の務めは傷つき、疲れた民に慰めを語ることであった。

旧約聖書の目次へ 新約聖書の目次へ
ページの先頭へ


ページの先頭へ
新約聖書 INDEX

マタイによる福音書 5章 43〜48節 本文へのリンク
主の示す愛は深く、大きい。これは敵を憎むのでなく、敵をも愛するものである。

マタイによる福音書 6章 25〜34節 本文へのリンク
人がこの世で生きていけば、悩みや思いわずらいは絶えない。しかしそれは意外に単純にしかも神に信頼するときに小さくなる。

マタイによる福音書 7章 7節〜12節 本文へのリンク
どん欲に求めること。それは決して拒けられるものではない。神はご自分に求めて来るものを待っておられる。

マタイによる福音書 7章 13節 本文へのリンク
本当の命に至る道は、思いのほか、 平坦で何の苦労も必要としないようなものではない。

マタイによる福音書 11章 28〜30節 本文へのリンク
自分ひとりでは負いきれない荷を担ってくれる人がいればと私たちは思う。どんな時でもひとりそのひとがいる。

マタイによる福音書 13章 13〜15節 本文へのリンク
イエスの不思議な言葉のひとつ。私たちの聞き、見、悟る力だけでは、イエスのたとえはわからない。

マタイによる福音書 24章 35節 本文へのリンク
私たちも、国も、世界も滅びるものである。しかしただひとつ滅びないものがある。それは・・・・・・・

マルコによる福音書 10章 14節 本文へのリンク
おとなたちの心配をよそに、イエスは子供たちを身近に集め、何ら邪魔者にはしなかった。いやむしろ子供たちこそ神の国に近いのだと。

ルカによる福音書 12章 22〜34節 本文へのリンク
思い悩みやわずらいはどうしたらなくなるのだろうか。烏のように、野の花のように単純になること。

ルカによる福音書 15章 1〜32節 本文へのリンク
イエスの有名なたとえ話。放蕩にあけくれた息子の帰りを父は待っている。走り寄って迎え入れるのである。

ヨハネによる福音書 6章 37節 本文へのリンク
イエスは命のパンであると自らを宣言された。そして父なる神がこれを与えようとした人には、必ずイエスはご自分を命のパンとしてその人に与えられる。

コリントの信徒への手紙1 13章 13節 本文へのリンク
「愛の讃歌」の1節。最大最高のものとは愛。これはまた神の私たちに与える最大のプレゼント。

ペトロの手紙1 1章 24節 本文へのリンク
宗教改革者カルヴァンが愛した言葉の一つ。晩秋に私たちはこの言葉が本当にそうだと感じるだろうか。

旧約聖書の目次へ 新約聖書の目次へ
ページの先頭へ


旧約聖書 本文
 ヨシュア記     1章 9節    旧約聖書340頁

(9)わたしは、強く雄々しくあれと命じたではないか。うろたえてはならない。おののいてはならない。あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。

旧約聖書の目次へ 新約聖書の目次へ
ページの先頭へ

 詩編     23編 1〜6節    旧約聖書854頁

(1)賛歌。ダビデの詩。
主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
(2)主はわたしを青草の原に休ませ
憩いの水のほとりに伴い
(3)魂を生き返らせてくださる。

主は御名にふさわしく
わたしを正しい道に導かれる。
(4)死の陰の谷を行くときも
わたしは災いを恐れない。
あなたがわたしと共にいてくださる。
あなたの鞭、あなたの杖
それがわたしを力づける。

(5)わたしを苦しめる者を前にしても
あなたはわたしに食卓を整えてくださる。
わたしの頭に香油を注ぎ
わたしの杯を溢れさせてくださる。

(6)命のある限り
恵みと慈しみはいつもわたしを追う。
主の家にわたしは帰り
生涯、そこにとどまるであろう。

旧約聖書の目次へ 新約聖書の目次へ
ページの先頭へ

 コヘレトの言葉     12章 1節    旧約聖書1047頁

(1)青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。
苦しみの日々が来ないうちに。
「年を重ねることに喜びはない」と
言う年齢にならないうちに。

旧約聖書の目次へ 新約聖書の目次へ
ページの先頭へ

 イザヤ書     40章 7〜8節    旧約聖書1124頁

(7)草は枯れ、花はしぼむ。
主の風が吹きつけたのだ。
この民は草に等しい。
(8)草は枯れ、花はしぼむが
わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。

旧約聖書の目次へ 新約聖書の目次へ
ページの先頭へ



新約聖書 本文
 マタイによる福音書     5章 43〜48節    新約聖書8頁

(43)「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。(44)しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。(45)あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。(46)自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。
(47)自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。(48)だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」

旧約聖書の目次へ 新約聖書の目次へ
ページの先頭へ

 マタイによる福音書     6章 25〜34節    新約聖書10頁

 思い悩むな
(25)「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。(26)空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。(27)あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。(28)なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。
(29)しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。(30)今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。(31)だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。(32)それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。(33)何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。(34)だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」

旧約聖書の目次へ 新約聖書の目次へ
ページの先頭へ

 マタイによる福音書     7章 7〜12節    新約聖書11頁

 求めなさい

(7)「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。(8)だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。(9)あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。(10)魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。(11)このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。(12)だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」

旧約聖書の目次へ 新約聖書の目次へ
ページの先頭へ

 マタイによる福音書     7章 13節    新約聖書12頁

 狭い門

(13)「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。

旧約聖書の目次へ 新約聖書の目次へ
ページの先頭へ

 マタイによる福音書    11章 28〜30節    新約聖書21頁

(28)疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。(29)わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。(30)わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。
旧約聖書の目次へ 新約聖書の目次へ
ページの先頭へ

 マタイによる福音書    13章 13〜15節    新約聖書24頁

(13)だから、彼らにはたとえを用いて話すのだ。見ても見ず、聞いても聞かず、理解できないからである。(14)イザヤの預言は、彼らによって実現した。
『あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、
見るには見るが、決して認めない。
(15)この民の心は鈍り、
耳は遠くなり、
目は閉じてしまった。
こうして、彼らは目で見ることなく、
耳で聞くことなく、
心で理解せず、悔い改めない。
わたしは彼らをいやさない。』

旧約聖書の目次へ 新約聖書の目次へ
ページの先頭へ

 マタイによる福音書    24章 35節    新約聖書48頁

(35)天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。

旧約聖書の目次へ 新約聖書の目次へ
ページの先頭へ

 マルコによる福音書    10章 14節    新約聖書81頁

(14)しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。(15)はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」(16)そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。

旧約聖書の目次へ 新約聖書の目次へ
ページの先頭へ

 ルカによる福音書    12章 22〜34節    新約聖書132頁

 思い悩むな

(22)それから、イエスは弟子たちに言われた。「だから、言っておく。命のことで何を食べようか、体のことで何を着ようかと思い悩むな。(23)命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切だ。(24)烏のことを考えてみなさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、納屋も倉も持たない。だが、神は烏を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりもどれほど価値があることか。(25)あなたがたのうちのだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。(26)こんなごく小さな事さえできないのに、なぜ、ほかの事まで思い悩むのか。(27)野原の花がどのように育つかを考えてみなさい。働きもせず紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。(28)今日は野にあって、明日は炉に投げ込まれる草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことである。信仰の薄い者たちよ。(29)あなたがたも、何を食べようか、何を飲もうかと考えてはならない。また、思い悩むな。(30)それはみな、世の異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの父は、これらのものがあなたがたに必要なことをご存じである。(31)ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる。(32)小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。(33)自分の持ち物を売り払って施しなさい。擦り切れることのない財布を作り、尽きることのない富を天に積みなさい。そこは、盗人も近寄らず、虫も食い荒らさない。(34)あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ。」

旧約聖書の目次へ 新約聖書の目次へ
ページの先頭へ

 ルカによる福音書    15章 1〜32節    新約聖書138頁

 「見失った羊」のたとえ
(1)徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄って来た。(2)すると、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」と不平を言いだした。(3)そこで、イエスは次のたとえを話された。(4)「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。(5)そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、(6)家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。(7)言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」

 「無くした銀貨」のたとえ
(8)「あるいは、ドラクメ銀貨を十枚持っている女がいて、その一枚を無くしたとすれば、ともし火をつけ、家を掃き、見つけるまで念を入れて捜さないだろうか。(9)そして、見つけたら、友達や近所の女たちを呼び集めて、『無くした銀貨を見つけましたから、一緒に喜んでください』と言うであろう。(10)言っておくが、このように、一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある。」

 「放蕩息子」のたとえ
(11)また、イエスは言われた。「ある人に息子が二人いた。(12)弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。(13)何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄使いしてしまった。(14)何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。(15)それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。(16)彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。(17)そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。(18)ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。(19)もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』(20)そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。(21)息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』(22)しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。(23)それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。(24)この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。
(25)ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。(26)そこで、僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。(27)僕は言った。『弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。』(28)兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。(29)しかし、兄は父親に言った。『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。(30)ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。』
(31)すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。(32)だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」

旧約聖書の目次へ 新約聖書の目次へ
ページの先頭へ

 ヨハネによる福音書    6章 37節    新約聖書175頁

(37)父がわたしにお与えになる人は皆、わたしのところに来る。わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない。

旧約聖書の目次へ 新約聖書の目次へ
ページの先頭へ

 コリントの信徒への手紙1    13章 13節    新約聖書317頁

(13)それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。

旧約聖書の目次へ 新約聖書の目次へ
ページの先頭へ

 ペトロの手紙1    1章 24節    新約聖書頁

(24)こう言われているからです。
「人は皆、草のようで、
その華やかさはすべて、草の花のようだ。
草は枯れ、
花は散る。

旧約聖書の目次へ 新約聖書の目次へ
ページの先頭へ